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2005年04月13日
【本】テレビ消灯時間6 天地無用
テレビ消灯時間6 天地無用
[著者]ナンシー関
[出版]文春文庫 な-36-9 初 2004/9 P237 \448
[初出]連載「週刊文春 2001/9~2002/6」「オール読物1999/12~2001/12」
単行本 文藝春秋刊 2002/9
[入手]ブックオフ \100
[内容](カバーより)
古館の塩でも「みそぎ」にならぬ三田佳子の底無しをのぞき込み、昼ドラの珍品「真珠夫人」の眉運動を鑑賞しつつ、小泉孝太郎に「さわやかさ」という不毛を見いだす。この人の前に道はない。この人の後に道はできた――。これが本当に最後のテレビ批評集。さよなら、ナンシー画伯。山藤章二、南伸坊との鼎談収録。 解説・坪内祐三
■感想
「週刊文集」連載のこのシリーズもこれでおしまい。
2002年6月に急逝されるまでが収録されています。
最後に斬ったのはW杯一色のニッポンでした。
ご冥福を…
■評価
《俺》☆☆☆
《薦》☆☆
投稿者 niimiya : 00:43 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月05日
【本】読書家の新技術
読書家の新技術
[著者]呉智英(くれ ともふさ)
[出版]朝日文庫 く5-1 初1987/10 4刷1990/3 \450 P247
[初出]単行本 情報センター出版局 1982
[入手]ブックオフ \105
[内容](カバーより)
わけ知り顔のオトナの現実主義ばかりが巾をきかす現代をいかに主体的に生き抜くか。自称知識人やえせインテリがうそぶく怪しげな論理と俗物教養主義にだまきれない”知的武装”の方法は。若き評論家が、古典の読み方、探書手帳の作り方、書評の読み方、ブックガイドなど読書のノウハウを具体的に示し、知的「生活者」に贈る異色の読書論。
■目次
第一部 知の篇
第二部 技術篇
第三部 ガイド篇
■感想
うなずく部分もあるんですが、20年ほど前の作品なんでやはり内容が古いのですねぇ
特に一部、三部は鮮度不足なので読むなら二部だけでよいかも。
■評価
《俺》☆☆
《薦》☆★
投稿者 niimiya : 00:42 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月01日
【マンガ】失踪日記
失踪日記
[著者]吾妻ひでお
[出版]イーストプレス P199 \1140 初2005/3 3刷2005/4
[入手]新刊
[目次]
・夜を歩く
・街を歩く
・アル中病棟
・巻末対談 吾妻ひでお×とり・みき
■感想
吾妻ひでおって人は私よりちょっと上のそっち系(どっちじゃ?)の方々に、かなり人気の漫画家さんでした。
ここ十数年、音信を聞いてないと思ったら、こんなことになってたんですねぇ
こんなこととは…
自殺未遂
失踪
ホームレス
復帰
失踪
ホームレス
肉体労働
アル中
入院…
なにがすごいって、これ全部実話なんだねぇ。
さらに全然辛気くさくないのだねぇ。
なんか、ちょっと失踪してみたくなるなぁ…
かなり面白いんで、そっち系じゃない(だからどっち?)人にもお薦め。
ただ、面白いのはいいけど、こういう私小説的なネタで好評博しちゃうと今後がちょっと心配ですねぇ
ネタのために無理したりしませぬよーに。
■評価
《俺》☆☆☆☆
《薦》☆☆☆★
投稿者 niimiya : 00:46 | コメント (0) | トラックバック
【本】空想より科学へ -社会主義の発展-
空想より科学へ -社会主義の発展-
[原題]Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenshaft
[著者]エンゲルス(FRIEDRICH ENGELS)
[訳者]大内兵衛
[出版]岩波文庫 白6 初1946/9 40刷1969/7 P130 ¥200
[入手]鎌倉の古本屋 \100 書き込みあり
[内容](帯より)
世界の労働者が目指す未来社会へのゆるがぬ確信と科学的洞察によって、本書は社会主義理論への絶好の入門書として生き続けている。
■感想
マルクスの盟友エンゲルスが自著『反デューリング論』より3章を選んで抜粋し作ったパンフレット。
マルクス・エンゲルスの社会主義思想が非常にわかりやすく説かれていて、入門書として最適なんではないでしょうか。
社会主義が新しい思想として生き生きとしていたころの熱い息吹が伝わってきます。
当然、良くできた思想書は説得力がある分危険でもあるわけで、この本に多感な学生時代に出会っていたら、今頃、ゲバ棒とヘルメットの似合うナイスガイになっていたかも… ^^;
共産党宣言や資本論に行き成り突進して敗れ去った経験のある人には強くお薦め。(俺?)
「英語版への序文」という本文と同じくらい長い附録もついていますが、こちらはあんまり面白くないから特に読まなくてもいいかも。
「資本家による搾取を糾弾して、現状の問題を指摘するだけじゃなんも解決しないんすよ。歴史を科学的に分析して、歴史的条件を理解したうえで、行動しないとね。」ってなことを言いたいんだと思います。
タイトルはそのあたりから来てまして「空想(的社会主義)から科学(的社会主義へ)」ということ。
歴史的条件ってのは、私の理解だと下記のような感じ、相当おおざっぱですが…
1)本来、人間は自分(と領主)の必要なものを作って、余剰分を他の人の余剰分と交換(間に貨幣が入ることはあるが)するもので、当然、その場合の余剰分は生産者の所有となる。
2)産業が発展し、工場などで集団でものを作る(社会的生産)ようになっても、この所有の方式は変わらず、作られたものの所有はその集団のオーナー(資本家)のものになる。
資本家は他の資本家に負けないように、どんどんどんどん物をつくり、機械もどんどんどんどん改良して、生産性を向上する。
3)機械の向上で労働者はへるのに、品物だけわんさか世の中にあふれる(生産の無政府状態)。
必然として恐慌が起こり社会は大混乱(現にこのころはほぼ10年周期で恐慌がおきていた)。
4)生産を秩序だてる必要性に資本家も気付く。株式会社→寡占→国家によるコントロール。
5)うーむ、ここまでくると資本家っていらなくなっちゃったなぁ・・・
ほな労働者が全部ひっくるめて面倒みましょかー(プロレタリア革命)
みんな幸せ~
まぁ現実をみるとそう上手くはいかなかったようで…残念。
結局、競争がないと働かないのよね…私達。
人間のできがもう少し進化しないと、まだまだマルクス・エンゲルスの考える理想には到達できそうにないのでありました。
うむ。
■評価
《俺》☆☆☆☆
《薦》☆☆☆
■引用(P69~ 三「資本主義の発展」より)
中世に発達していたような商品生産のもとにおいては、労働の生産物が誰に属すべきものかという問題は、おこりようがなかった。個々の生産者は、普通、彼に属する原料、時としては自家製の原料に対して、自分自身の労働手段を用い、自分自身もしくは家族の手労働で生産したのであった。彼はそれを改めて自ら取得する必要はなく、初めから彼に属した。したがって生産物に対する所有権は自己の労働に基づいていた。《中略》そこへ大作業場やマニュファクチャーにおける生産手段の集中、それの事実上の社会的生産手段への転化が出現した。それで、この社会的な生産手段と生産物は、これまでのように、個人のものであるかのように取扱われた。従来、労働手段の所有者がその生産物を取得したのは、その生産物が普通に彼自身生産した物であり、他人の補助労働は例外だったからであったのに、今やそれは彼の生産した物ではなくて、全然他人の労働の生産物であるにかかわらず、労働手段の所有者がこれまでどおりその生産物を取得することになったのである。こうなると、社会的に生産されることになった生産物を取得する人は、生産手段を現実に動かし、生産物を現実に生産する人ではなくて、資本家であった。生産手段と生産は本質的に社会的なものになった。が、それらを規制する取得形態は、個人的な私的生産を前提とする。《中略》かくして生産方法は、このような取得形態の前提をなくしたにもかかわらず、依然としてこれまでどおりの取得形態に規制されている。この矛盾こそ、新しい生産方式に、資本主義の性質を与えるものであり、この矛盾の内に現代の一切の衝突の萌芽が含まれている。